こころを晒すということ、人と話すということ。

高校時代の友人に半ば無理やり会う約束をさせられたので、買い物がてら会うことに。50分遅刻という昔から変わらない遅刻癖を遺憾なく発揮していただいて盛大に出鼻を挫かれましたw
会ってすぐに『元気ないね。何があったの?』って言われた。そういうことを聞かれないように明るくしてたつもりなのに。でも口に出すと泣きそうで困ってたら、彼女は『悩んでることも、話したいなら言えばいいよ』って言ってくれて、それ以上は突っ込まずに近況とか最近行ったライブの話とかしてくれた。高校時代みたいにくだらない話して、久しぶりに本心から笑った。昼ご飯食べて、いろいろ買い物して、結婚式用の服を物色して帰った。
結局、私が塞ぎ込んでしまった理由は話さなかった。話そうかとも思ったけども、やっぱり話せなかった。家にいるのがしんどいこと、仕事がしんどいこと、少し病んでしまって、『人と話す』という簡単だけどとても体力を使う行為を放棄してしまったこと、ぱらぱらと話した。人と話したのが久しぶりだったから、もしかしたら覚束ない会話の中で知らないうちに彼女を傷つけたかもしれない。でも別れ際、ザ50回転ズのアルバム(こういう絶妙なところが彼女らしい)を貸してくれて、『またね』って笑ってくれた。なんかもう、その笑顔だけで救われた。帰り道、涙が出てきてどうしようかと思った。彼女の中にまだ私の『居場所』があったってことが分かっただけで嬉しかった。
自分のことを話したり、心の中を晒すのはとても勇気が要るし、疲れるし、辛い。でも、私を愛してくれる人がいる限り、私が誰かを愛したいと思う限り、逃げちゃいけないんだなって思った。思うだけじゃなくて、動け。動け。みんながいなくならないうちに。愛してくれてるうちに。